応援したくなる人

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
一生懸命
諦めず
努力し続ける

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

 

 

なぜかそんな人を応援したくなります。

 

 

 

 


輝かしい栄光、

期待された未来から

突然の絶望。

 


真っ暗な闇の中から

 


全てを受け入れる勇気を持ち

 


小さな感謝に気付き

 


一日一日を努力し続ける。

 

 

 

 

 

 

池江璃花子 選手

 


水泳で日本記録を出し、

東京オリンピック有力候補といわれながらも

 


2019.2 急性リンパ性白血病 緊急入院

 


オリンピック目前での絶望感

厳しい闘病生活は凄まじいものだったのではないかと思います。

そんな中でも『病気』と真摯に向き合う姿に感動しました。

病気を不幸としてでは無く

病気を通して多くを学んだと語っています。

 

 

 

 


池江選手のホームページでは

 


https://www.rikako-ikee.jp/fan.html

 


2月から入院生活をし、約10ヶ月の月日が経ちこの度退院することができました。

辛くて長い日々でしたが、皆様からの励ましのメッセージを見て、早く戻りたいと強く思うことができました。

応援してくださった方々や関係者の方々、そして家族には感謝の気持ちでいっぱいです。

 


入院中、抗がん剤治療で吐き気が強い時や倦怠感もありましたが、そんな時はとにかく「大丈夫、大丈夫、いつか終わる」と

自分を励まし続けました。

オリンピックを目前に控えていた中、突然大好きなプールを離れ、失ったものが多いのではと思った方もいらっしゃると思いますが、

私は病気になったからこそ分かること、考えさせられること、学んだことが本当にたくさんありました。

・・・・以下省略・・・・

 


と直筆サインで応援してくださる方への

メッセージが書かれていました。

 

 

 

これからもたくさんの

困難が待っていると思います。

 

 

 

けれどもその困難から

たくさんのことを学び

池江選手が世界で輝くことを

願い応援させて頂きたいと思います。

 

 

 

池江選手の生き方から、

今目の前のことを

直向きに一生懸命努力していくこと

の大切さを学ばせて頂きました。

 


最後まで読んで頂きありがとうございます😊

 

輝く仕事

笑顔で働く人は

『輝いている』

 

 

 

笑顔で働く人に

『安心感を持つ』

 

 

 

どんな時も笑顔で働く人は

『応援したくなる』

 

 

 

 

 

 

職種によって輝いているのでは無く

笑顔で働く人が仕事そのものを

輝くものにする。

 

 

 

 


働く意味を意識しているから

自然と笑顔になる。

 

 

 

 


【笑顔のシニアボランティア】

 


毎日

同じ時間

同じ場所

同じ笑顔で

 


小学生の登校を見守りしている

シニアの方がいます。

 

 

 

交通安全の

黄色いベストをつけ

黄色い誘導棒で

子供たちの安全を見守ります。

 

 

 

どんなに雨が強い日も

どんなに暑い日も、寒い日も

 

 

 

笑顔で子供たちの安全を見守ります。

 


シニアの方が笑顔で声をかけると、

子供たちも笑顔で返します。

 

 

 

いつも

同じ時間

同じ場所

同じ笑顔を

ずっと続けます。

 

 

 

一度だけ

そのシニアの方がいなかった日があります。

 

 

 

子供たちは

いつもの場所を振り返ります。

 

 

 

いるはずの場所を

何度も振り返りながら

あれって顔をして

学校へ向かいます。

 

 

 

翌日、シニアの方は

いつもの場所に立っていました。

 


昨日は体調を崩されたそうです。

 

 

 

子供たちもいつもの笑顔になります。

 

 

 

『子供たちが今日も

元気に過ごせますように』

その思いが笑顔から伝わります。

 


シニアの方の存在そのものが、

子供たちに安心を与えます。

 

 

 

子供たちを思いやるから

毎日続けられる。

 


思いやる心から

自然と笑顔になる。

 

 

 

今日私は誰を思いやり、仕事をするのか?

このシニアの方から

大切なことを学ばせて頂きました。

 


最後まで読んで頂きありがとうございます😊

 

悩みは『感動への道』

『悩み』に努力を足すと感動が生まれる。

 


『困難』に努力を足すと伝説が生まれる。

 


悩みや困難の先に、輝く未来がある。

 

 

 

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悩みや困難を受け入れ

努力することが感動の未来を創り出す。

 


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『努力し続けた少年』

 


生まれつき右手首より先のない少年

 

 

 

こどもの頃は障害でいじめられました。

 

 

 


父の勧めで野球を始めます。

 

 


彼は一生懸命努力し、


もっと上手く投げる方法はないか考え、

また努力し…

 

 

 

 


グローブを右手首の上にのせ

投げた後に左手にグローブを

はめる投球を編み出しました。

 

 

 

 


その後も努力し続け、

高校時代にはエースとしての実力を発揮。

 

 

 

ミシガン大学で投手として活躍

 

 

 

メジャーリガーへ

 

 

 

1993年ニューヨークヤンキースの投手として、

ノーヒットノーランを達成します。

 

 

 

 


彼の名前はジム・アボット投手

 

 

 

あるインタビューで彼は

「自分が障害者だとは思ったことはない。子供の時、自分に野球を教えようとして庭に連れ出した父こそ勇気のある人間だ」

と答えています。

 

 

 

 


このコメントから

ご両親の愛情の深さ、

またアボット選手の強い意志を感じます。

 

 

 

 


苦悩を受け入れ、努力によって乗り越える。

 

 

 

悩みが大きければ大きい程、人として大きく成長します。

 

 

 

感動は悩みという『道の先』に待っています。

 

 

 

 


アボット選手の生き方から

未来を信じ

今を大切にし

努力すること

の大切さを教えて頂きました。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊

素敵な未来

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『許しあい』『助けあい』『支えあう』

 


その先には輝く未来がまっている

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みんな幸せになる為に生まれてきた。

 


人を幸せにしようとする人の周りには

笑顔に溢れている。

 


人を幸せにしようとする人の顔は

輝いている。

 


人に優しさ与えている人からは

温かさを感じる。

 

 

 

 


毎日の『誰かの為に…』

という想い、行動が

輝く未来をつくっていく。

 

 

 

 

 

 

『黒川温泉』

九州に黒川温泉という温泉街があります。

 

 

 

1970年代

黒川の温泉街はお互いの価格競争で、

生存すら厳しい状況へ落ちていきます。

 

 

 

そんな中、一人の青年が

裏山にノミ一本で洞窟を掘り、

自然豊かな露天風呂を作りました。

 

 

 

これが話題となり、

お客様が増えていきます。

 

 

 

青年は単独の発展では

温泉街の発展にはつながらない。

 


お客様に喜んで頂ける露天風呂の方法を

他の旅館にも教えていきます。

 


他の旅館にもお客様が訪れるようになり、

温泉街は少しずつにぎわい始めました。

 

 

 

しかし、土地がなく

露天風呂を作れない旅館が2件ありました。

 

 

 

どうしたら露天風呂を作れない旅館も

お客様が来て頂けるのか?

 

 

 

みんなで考えました。

 

 

 

 


『すべての旅館の露天風呂を解放しよう。』

 

 

 

 


入湯手形という木製チケットを買うと、

どこの旅館に泊まっても、

ほかの旅館の露天風呂に自由に入れる

という仕組みを生み出しました。

 

 

 

 


この活動は口コミで広がり、

たくさんの方々が毎年訪れるようになりました。

 

 

 

 


この温泉街では

三十軒の宿と里山の風景すべてを、

「一つの旅館」として考えています。

 


来られたお客様全ての方に

みんなで幸せなひと時を

過ごして頂けるように

おもてなしをしています。

 

 

 

 

 

 

どうしたら相手の為になるのか…

真剣に毎日考え行動する先に

必ず幸せが待っています。

 

 

 

 

 

 

競争では無く

 


許しあい

助けあい

支えあえたならば

きっと未来に幸せが待っています。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊

 

 

 

 

 

 

大志

志(こころざし)を未来へ

 


始めは細く険しい道

 


何度も立ち止まり

また歩く

 


困難であっても歩き続ける

たとえ命が尽きたとしても

 


その志を受け継いだものが、

また歩き出す

 


一人、そしてまた一人

 


やがては大きな志となり

未来を変える力になる

 

 

 

志は未来に生き続ける

 

 

 

 

 

 

『吉田松蔭 氏』

 


日本が世界の脅威にさらされた時、松蔭氏の命をかけた生き方が未来をかえました。

 


1859年  享年29歳の若さで処刑されます。

 

 

 

松蔭氏の教え子たちが

その志を引き継ぎ

日本各地で立ち上がります。

 

 

 

その志は教え子達から、長州、薩摩、土佐、

そして全国へ

 

 

 

松蔭氏の志は死後、明治維新という大偉業の原動力となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1830年 杉家の次男として生まれます。

幼少期は自給自足の貧しい生活、両親と共に畑仕事をしながら論語など学問を学びます。

 


5歳で吉田家の養子となり

 


19歳で名門明倫館の正式教授になります。

そんな中世界の脅威が日本に迫っていることを知り愕然とします。いてもたってもいられなくなり、日本全国を周ります。

 


日本を救うには欧米列強をもっと知らなくてはとアメリカ密航を企てるが失敗し投獄されます。

 

 

 

 


獄中では、

生きる希望を無くし

虚な目をした囚人たちばかり

 

 

 

 


松蔭氏は

『どんな境遇にいても人は前向きに生きることができる。学問は生きる希望。』

と考え

 


獄中で論語孟子を教え始めます。

 

 

 

始めは誰も反応しませんでした。

 

 

 

しかし、日がたつにつれ、

一人また一人と松蔭氏に学ぶようになります。

 

 

 

囚人だけだなく、

松蔭氏の学問の深さに看守たちも

一緒に学び始めます。

 

 

 

26歳仮出獄

松下村塾で学問を教え始めます。

子供〜大人まで 

農民〜武士まで

 


月謝は無料、

貧しい者には食事まで与えます。

 


24時間 開講 

塾生一人一人と向き合い

一人一人の個性を見抜き

個性を引き出す教育をしていきます。

 


教えるだけでなく、共に学び未来を考えます

 

 


松下村塾からは

のちに

久坂玄瑞氏、前原一誠

高杉晋作氏、伊藤博文氏など

多くの偉人が生まれます。

 

 

 

松下村塾で教えた期間はわずか2年数ヶ月でした。

 

 

 

1858年 幕府が日米修好通商条約に調印

日本に不利な条約を結んだことに対して

松蔭氏はこのままでは日本が滅びてしまう。

 


命の危険を顧みず日本を救うため奔走します。

 


幕府からは危険人物として

捕らえられてしまいます。

 


翌年安政の大獄で29歳の若さで処刑されます。

 

 

 

 


「至誠にして動かざる者は

いまだこれ有らざるなり」

しせいにしてうごかざるものは

いまだこれあらざるなり

 


『相手の事を思い、真剣に行動する人に対して、心を動かされない人はいない。』

 

 

 

 


松蔭氏の死後、

その生き方、想いは

教え子たちに引き継がれ、

 


久坂玄瑞氏、高杉晋作氏が立ち上がり、

その考えは坂本龍馬氏、西郷隆盛氏、全国に

広がり、明治維新が実現します。

 

 

 

 


志は未来に生き続ける

 

 

 

 


私は今、未来に何を残すのか?

生きる意味を深く考えるきっかけになりました。

 


最後まで読んで頂きありがとうございました😊

人柄

良い生き方は、

その人の表情に現れます。

 


人はあった瞬間に、

温かい人、冷たい人など

雰囲気を感じます。

 


優しさ、素直さといった

その人からにじみ出る深い想いは

言葉や行動となり、周りの方に伝わります。

 


その毎日の積み重ねが

その人の人柄をつくります。

 

 

 

 

 

 

 


先日、近所の子どもが

自転車のチェーンが外れて困っていました。

 


「大丈夫」と声をかけると

どうしていいかわからずに困っていました。

 

 

 

自転車は6段式のギアでチェーンは車軸側に挟まってしまっていました。

 

 

 

普通の自転車だと簡単に治せるのですが、

ギア式で素人には全く歯が立ちませんでした。

 


無理矢理やって壊れてしまってもいけないため、

どうしたものかと途方にくれていた時

 

 

 

 


『あの〜少し様子を見ていたのですが、お困りのようでしたらお手伝いさせて頂けませんか?』

と若い男性の方が声をかけてくれました。

 

 

 

 


その方は20〜30代の方で、

私たちが警戒しないように、

自転車安全整備士?

の資格証を見せて、

優しく声をかけてくれました。

 

 

 

 


「お願いします」と言うと、

車の中にある道具を持ってきて、

 

 

 

 


『ん〜これは大変だったね!!』

と子供に声をかけながら

道具を上手く使い、自転車を傷つけないように挟まったチェーンを外していきます。

 

 

 

数分でチェーンは外し終わりました。

 

 

 

近所の子がにっこり笑顔でお礼を言うと

 

 

 

 


男性は

『自転車6速に入らなくなってたんじゃない?』と言いました。

 

 

 

 


近所の子は

「えっ少し前から壊れちゃったみたいで…」

 

 

 

 


男性は

『ついでに直しておいたよ!!』

と言ってにっこりとしました。

 

 

 

 


修理をする姿が、凄くスムーズで段取り良く、また会話の端々から相手の不安を温かく包み込むような感じで、見ていて温かい気持ちになりました。

 

 

 

男性は出張帰りでたまたま通りかかったとの事でした。

『アイコーポレション』と書かれていました!!(ハウスクリーニング屋さん?)

 


こんな従業員の方がいる会社なので凄くいい会社なんだろうなと勝手に想像していました^_^

 

 

 

この方との出会いを通して、

私は普段どんな想いを持って

周りの方に接しているだろうか

と見つめ直すきっかけになりました。

 


最後まで読んで頂きありがとうございます😊

報恩謝徳(ほうおんしゃとく)

恩に報い徳に謝す。 


『受けた恩義や徳に対して、自分のできる限りのことをしようという気持ち。 』

 

 

 

 

 

 

一つの仕事に対して

一生懸命やっても

手を抜いても

給料は変わらないという人がいます。

 

 

 

 


けれども、

尊い人生の瞬間を歩いているか

そうではないか…

を基準に考えると、

見方が全く変わってくるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


以前の職場の後輩にあーちゃんという

なにごとにも一生懸命頑張る人がいました。

 

 

 

あーちゃんは、

とにかく努力家

一生懸命、コツコツ

誠実に優しさ溢れる

という言葉がぴったりな人です。

 

 

 

でも仕事は人の3倍の時間がかかります。

 

 

 

実は幼少期に難病にかかり、

歩くのもやっとという状況でした。

作業に時間がかかります。

 

 

 

仕事は彼女の体調も見ながら

任せていたのですが

いつも自分の仕事が終わると

他に何か出来ることはありませんか?

と言ってきます。

 

 

 

大変だろうなと思いながらも

次の仕事を任せます。

 


夜遅くなっても

仕事をやり遂げるまで頑張ります。

 

 

 

ある時、私はなぜそんなに頑張るの?

と質問しました。

 

 

 

あーちゃんは

『たくさんの方に

支えられて

今があります。

だから今度は

人の役に立ちたいんです』

と答えてくれました。

 

 

 

 

 

 


あーちゃんは

3歳の時

原因不明の難病苦しんだそうです。

突然42度の高熱と

けいれんを起こし

その日から入院生活が始まり

毎日ステロイドの薬を飲み

点滴と注射を打たれ

採血をする日々

 

なんとか命だけは助かるものの

辛い闘病生活が待っていました。

 

 

 

小学校2、3年生の時は

椅子に座っていることも困難でした。

 


4年生になると少しずつ座ることができ、

車いすで学校に通えるまでになりました。

 

 

 

 


学校生活では、

友達がいつも車いすを押してくれ

小学校の先生方も

わざわざ車いす用のトイレを

設置して下さったりと

本当に色々な場面で

サポートしてくれたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の彼女の夢は『歩くこと』でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中学校に入るとき

「絶対に歩けるように努力をして

元気になったら恩返しをする」

という目標を立てたそうです。

 

 

 

 

歩けない車いすの彼女とって

バリアフリーの全くない環境は

想像以上に大変でした。

 


教室が5階にあり

毎日お尻をつきながら

階段の上り下りをして移動しました。

 


次第に手すりに這いつくばって

自分の足で階段の上り下りが

できるようになりました。

 


そのお陰で・・・

中学校2年生の時には

車いすを使わずに

自分の足で歩いて

生活できるようになりました。

 

 


病気になったことで

辛いこともありましたが

 


そのおかげで

たくさんの人の優しさを

知ることができ

辛いことの裏側に

どれだけの有り難いことが

隠れているのかを

気付けたそうです。

 

 

 

体が動くこと

歩けること

食べられること

椅子に座れること・・・

本当に日常で当たり前のことほど

どれだけ有り難いことか

 

 

 

 


全ての人にたくさんの

『幸せ』が与えられている。

 

 

 

病気なったお陰で

人の温かさをたくさん知ることができ

苦しみ以上に

この瞬間にたくさんの幸せを与えられ

生かされているという

『幸せ』に気付かせて頂いた。

と話してくれました。

 

 

 

 

 

 

そんな あーちゃん

だからこそ、

職場の方たちだけでなく、

お客様にもホッとする存在として

愛されています。

 

 

 

『ひたむきに、一生懸命』

 


だから

あーちゃんの周りには

何かしてあげたいと

たくさんの応援したい人

集まります。

 


あーちゃんは

さらに人の為にという

思いが高まり努力します。

 

 

 

毎日は同じような

繰り返しに感じることもあります。

 


けれどもその中に報恩という気持ちを持って

仕事にあたる。

 


それが尊い毎日を生み出すのではないか

と思います。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊