リーダーシップ

至誠(しせい)にして動かざる者は未(いま)だ之(こ)れあらざるなり。(離婁上十二章)

 

『相手の事を思い、真剣に行動する人に対して、心を動かされない人はいない。』

 


10年以上前ですが、台湾に行った時感じたのは、親日家の方が多いという事でした。

日本語で会話しながら街を歩いていると、ご年配の方に嬉しそうに日本語で声をかけられました。日本人と会話が出来るのが楽しい、日本の教育を受けたことを誇りに思っている旨を話してくれました。

 


私自身台湾に行きたいと思って行ったわけでは無く、海外留学をしておいた方が将来の為にいいだろうと思い、たまたま台湾が行きやすかっただけでした。興味もありませんでした。

 


しかし、実際に行ってみてその考えは180度変わります。台湾の方は良い方ばかりか、活気に溢れ、その街の雰囲気がなんとなく懐かしいという感じがしました。古き良き時代の日本という感覚!!

台湾という国が大好きになりました。

 


なぜ台湾の方はこれほどまでに日本を愛してくれるのか?

 


色々と調べてみると台湾の教科書に八田與一さんという方の生き方が書かれていました。

 


八田さんは水不足で作物が育たない土地にダムを作り、台湾の方々の生活を豊かにした人でした。

 


1920年〜1930年まで、鳥山頭ダムの完成に至るまで10年かかる大工事を指揮しました。完成までには沢山の困難が待ち受けていました。

予算は莫大で半分を現地の農民達が担うことで許可がおりました。台湾の方からは何故私たちがお金を払わなくてはいけないのか?騙されるものかと罵られながらも、『この国を本当に豊かにするにこのダムは必要なんだ』ということをひたすら伝え続けました。

 


また大規模工事に伴い、作業員達の劣悪な労働環境に心を痛め、家族で住める宿舎、学校、病院などを作り、祭りやイベントなど一緒に働く人達のことをとことん考え行動しました。

 


反対を受けながらも現地の方と同じ目線で苦労を共にする八田さんの姿に台湾の方は次第に心を開いていきました。

 


しかし、工事開始2年後、爆発事故が起こり50人以上の方が亡くなりました。八田さんは遺族の方の家を一件一件周り『ご主人を殺したのは私です。』と真剣にお詫びされたそうです。遺族の方からは『夫はダム建設に誇りを持っていました。どうかこのダムを完成させて下さい』と励まされたそうです。

 


またその翌年、関東大震災が起こり、予算を大幅にカットしなくてはならなくなりました。悩んだあげく、八田さんは有能な日本人技師から解雇したそうです。有能な技師なら何とか次の仕事を見つけることができるだろうと考えた末の決断でした。

台湾の方からは『なぜ台湾人では無く日本人を解雇したんですか?』という質問に対して、『このダムを使うのは貴方達なんだから当たり前ですよ!!』と答えたそうです。

どんな困難にあっても皆んなの幸せを願い、真を尽くすその姿に多くの方が心を動かされ1930年ダムは完成します。

 


八田さんの私利私欲では無く、相手の事を真摯に思い行動する姿が今もなお、台湾の方の心の中に引き継がれているんだと感じました!!

 


至誠(しせい)にして動かざる者は未(いま)だ之(こ)れあらざるなり。(離婁上十二章)

 

 

『相手の事を思い、真剣に行動する人に対して、心を動かされない人はいない。』