なせば成る

「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」

 

 

 

 

 

 

どんなに困難な事であっても、強い信念を持ってすれば、必ず成就する。

結果が出ないのは、先に諦めてしまっているからである。

 

 

 

 

 

 

困難が大きければ大きい程、大きく成長できる。

 

 

 

 

 

 

苦しみは、不幸では無く、輝く未来への始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改革で大切なのは

制度や対策…

 


それ以上に

『愛情を注ぎ続けることが

一番大切』

 

 

 

 


9代目米沢藩主 上杉鷹山

17歳で藩主になり、領民の為の大改革を行った方です。

 


10歳の時に遠縁の上杉家に養子縁組 婿入りの話が上がりました。

 


若くして上杉家の借金20万両

(現在の100億円にあたる)を知った時はどの様な気持ちだったんだろう。

と胸が痛くなります。

 

 

 

 


18歳の時、誓いの言葉を春日神社、白子神社の神様に奉納しています。

内容は

『民の父母の心構えを第一とすること』

『学問・武術を怠らないこと』

『質素・倹約を忘れぬこと』

……

それらを怠ったとき、神罰を受けても構わない。

 

 

 

 


傾いた米沢藩を救うため、

まず「大検約令」発し、役人の贅沢や無駄を正すことから、改革への第一歩を踏み出します。

 

 

 

 


家臣からは名門米沢藩の面子を潰す気かと猛反発を受けました。

 

 

 

 


しかし、鷹山公の決心は揺るがなかった。

 


自分の身の周りから倹約を始ます。

 


江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らしました。

 

 

 

 

 

 

米沢藩の領地では、

痩せ衰えた田畑、疲れ果てた農民

 


年貢を納められず、重税を払えないと水攻めなど苦しい罰。

 

 

 

藩を逃げ出す者。

 

 

 

食べる物も無く子供も育てられない為、間引きする者(生まれた子をすぐ殺してしまうこと)

 

 

 

どれだけ苦しい状況だったかは想像を絶します。

 

 

 

鷹山氏は藩の実状を知れば知るほど絶望感を抱きます。

 


そんな中でも諦めず、考えに考え抜き、行動を起こします。

 

 

 

 


『農業改革案』荒地の開拓をする。

 

 

 

 


家臣達は

「誰がやるんですか?

そんな人手はありません。」

と猛反発した。

 

 

 

 

 

 

 


鷹山公は

 


『武士がいる。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


武士に農業を進め、みずからクワを持った。

 

 

 

藩主の揺るぎない姿に心動かされ少しずつ賛同する者たちが現れます。

 

 

 

最も身分の低い下級武士達でした。

藩の給料だけではもともと生活できなかった。

 

 

 

 


その後も改革を進めます。

 


土地にあった作物を栽培、染め物や織物など産業の改革も行います。

 


士農工商という階級制度を根底から変えていった。

 

 

 

 

 

 

名君上杉鷹山公の名が高まるにつれ、家臣の批判は身を潜めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天明3年の飢饉では、全国で推定約2万人の餓死者がでるなか、米沢藩では一人も餓死者が無かった。

 


鷹山公は参勤交代の為、江戸に行かなくてはならなかった。

しかし、今米沢を離れてはこの飢饉を乗り越えられない。

鷹山公は家督を治広に譲り、35歳の若さで引退を決意します。

 


藩主でなければ江戸に行かなくては済む。

 


米沢に残り、城に蓄えてある米を民に配り、家臣と平民に同じお粥を配る。

 

 

 

 

 

 

 


目に見えるものだけでは本当の改革は出来ない。

 

 

 

 


領民の父母となる

『揺るぎない決意』

『深い愛情』

『誠実さ』

 


この思いがあって初めて

人の心が動かされ改革が出来る。

 

 

 

鷹山公の生き方から

 

 

 

『人々に希望の光を

照らすこと』

 

 

 

の大切さを学ばせて頂きました。

 

 

 

 


「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊