想いをつなぐ

絶望から希望溢れる未来へ

 


争いから笑顔溢れる未来へ

 


今、大切なのは教育

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小林虎三郎

 


目先の利益にとらわれることなく、

教育を通し、未来の希望に想いをつないだ人物。

 

 

 

 

 

 

長岡藩が、戊辰戦争で破れ

 

 

 

 


その日の食べる物も無く、

 

 

 

 


盗み働かなくては生きていけない者もでるほど悲惨な状況にあった­時

 

 

 

 


見るにみかねて、分家の三根山藩(みねやまはん)から米百俵が贈られてきました。

 

 

 

 


しかし、小林虎三郎氏は­この米を藩士たちに分けず、学校設立に必要な資金にしようと決断します。

 

 

 

 

 

 

それを知った藩士たちは、怒りがおさまらず虎三郎の元に集まります。

 

 

 

 

 

 

今にも斬りかかってきそうな

藩士たちを前に

 

 

 

 


虎三郎氏は

藩士たちの苦しみにひたすら耳を傾けます。

 

 

 

 


苦しみを受け止めた上で、藩士たちに

 


『食えないからこそ、

 


学校を建てて人材を育てるのだ

 

 

この百俵は、今でこそただの百俵だが、

 


後年には一万俵になるか、

 


百万俵に なるか、

 


はかり知れないものがものがある。

 


いや、米だわらなどでは、

 


見積もれない尊いものになるのだ。

 


その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれない。 

 


新しい日本をつくるんだ』

 


 

 


と、学校設立の大切さを命がけでときました。

 

 

 

 

 

 

藩士たちは虎三郎氏の信念に感化され、最後はその考えを受け入れます。

 

 

 

 

 

 

学校は藩士の子ども、農民や町民、誰もが入学を許可されました。

 

 

 

 

 

 

 

虎三郎氏は

「世界の時代の流れに遅れないよう、

時代の先を見据え学問や芸術を教え、

すぐれた人材を育成しよう」

という理念を元に、教育をはじめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その長岡市からはのちの

 

 

 

山本五十六氏(海軍大将)


「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」

 

 

 

 


井上円了


現在の東洋大学の創設者

 

 

 

はじめ、多数の偉大な人を輩出しています。

 

 

 

 

 

 

目先の利益では無く

 


未来の希望に向かって

 


今を歩むことの

 


大切さを学ばせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

希望溢れる未来

 


笑顔溢れる未来へ

 


想いをつなぐことを

 


『志(こころざし)』と

呼ぶのではないかと想います。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊

 

 

 

無駄な努力は無い

池に石を投げると

小さな波が広がります。

 

 

 

愛情も

一つ施すとその波が広がります。

 


始めは小さな波でも

 


二つ、三つと重ねるごとに

 

波は大きくなり、

 

 


やがては世界を包み込む

大きな愛の波となります。

 

 

 

 

 

 

マザーテレサさん』

 


貧しい者、病める者の為に尽くした人生

 


スラム街の聖女と呼ばれ

 


持ち物はサリーとゾウリだけ

 


飢えに苦しみ、恐怖に怯える人々に

愛を与え続けました。

 

 

 

 


子供の頃 母親から

「神様が望む人になるのよ。

大切なのはあなたのやりたいことを知るのでは無く、神様のお望みを知ること。」

と育てられます。

 

 

 

身寄りが無く、行き倒れた人の為に

『死を待つ人の家』を設立

貧しい人が死ぬまで見捨てられたままにならないように。

 

 

 

親に捨てられた子供たちの為に

『孤児たちの家』を設立

子供たちに

『あなたも望まれてこの世に生まれてきたのよ』と言い続けた。

 

 

 

ハンセン病に苦しむ人の為に

ハンセン病施設』を設立

周囲からの差別と偏見により心に深い傷を負った人々に

『あなたはかけがえのない素晴らしい一人の人間なのです。』と言い続けた。

 

 

 

苦しむ人々は、

テレサさんの愛に包まれ、

長い間忘れていた、

笑顔を取り戻していきます。

 

 

 

 


テレサさんの活動は世界中で評価され

1979年ノーベル賞受賞します。

 

 

 

 


始めから全てが

上手くいったわけではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1948年に安全な修道会を出て

カルカッタ スラム街へ行きます。

 


わずかな食べ物と薬を持って

貧しい者に分け与えました。

 


与える物が無いときは

テレサさん自身が施しを受け、

貧しい者へ与ます。

 


汚れたサリーを纏った、テレサさん自身も

物乞いと間違えられるときもありました。

 

 

 

それでも貧しい者の生活は一向に変わらず、

テレサさん自身も絶望感に包まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

ある日スラムで一人の少女に出会います。

「お金を下さい。シスター」

お金を持っていないテレサさんが

その少女の後を着いていくと、

痩せ細った母親と子供たちがいました。

 

 

 

 


テレサさんが

持っていたわずかな米を差し出すと

母親は米を半分にわけ、

その米を持って

家を飛び出していきました。

裏の家の人たちも何も食べていないんです。

 

 

 

 

 

 

何ということだろう。

この人は自分たちも飢えているのに

他人の飢えを思いやっている。

 

 

 

 

 

 

 


この出来事から

テレサさんは奮起し

子供たちに青空教室で字を教え始めます。

子供たちの数は膨れ上がり、

一人では負えないようになりました。

 


そこへ心強い仲間が現れます。

 


修道会の教え子たちでした。

「私を仲間に入れて下さい。」

 


『とても辛い仕事なのよ』

 


「はい。知ってます。

その覚悟は出来ています。」

と…。

 

 

 

一人また一人と増えていきました。

 

 

 

献身的なシスターたちの姿に、

人々もまた、

力を貸してくれるようになりました。

 

 

 

たった一人から

愛の波を投げ続けた。

始めは小さな波でした。

 

 

 

一つ、また一つ

愛を注ぎ、

努力し続けました。

 

 

 

やがては大きな波となり、

世界に広がっていきます。

 

 

 

無駄な努力はありません。

愛を与え続けること

必ずその先に幸せが待っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今まで、

ある程度裕福になったら、

募金活動、ボランティアなど、

人の為に出来ることをしていこう

と決めていました。

 

 

 

 

 

 

しかし、

マザーテレサさんの生き方から

貧しくても、

人の為に出来る事は無限にある。

 

 

 

 


小さな事でも続けていくこと

の大切さを学ばせて頂きました。

 

 

 

積小為大(せきしょういだい)

小さな積み重ねが大を為す

 


小さな努力の積み重ねが、大きな発展につながる。

 

 

 

どんな荒れ果てた地にも、

きちんと耕し、種を播き、世話をする。

時期がくれば実りをもたらします。

 


一つ一つが大切

無駄な努力はありません。

 

 

 

人々の

荒れた心

絶望の心にも

 

 

 

誠実さの種を播けば、

必ず希望の実りをもたらします。

 

 

 

 


二宮尊徳

 


1787年 栢山村(小田原藩領)で生まれる。

祖父の代で豊かだった家も、父の代で土地、田畑全て無くなった。

 


13才の時、父が亡くなり、15才で母が亡くなる。兄弟は親戚に引き取られ、離散した。

 


どんな貧しく、惨めな状況にあっても学ぶ事を辞めなかった。

尊徳は昼間、叔父の仕事を手伝いながら、夜灯油の灯りで勉強会した。

 


叔父から灯油もタダでは無いと叱られると、友人より菜種を借り、荒野に植えた。

1年後菜種は150倍にも実り、勉強の灯りとした。

 


25歳で、無くなった田畑を買い戻し、

二宮家を再建

 


その実績の噂が広がり26才で藩主より小田原藩の立て直しを命ぜられる。

 

 

 

尊徳氏は全てを投げ捨て、公の業務に尽くす。

 

 

 

 

過去の実績を元に、無理のない目標設定、計画を立てた。

 

 

 

飯炊き

飯炊きには年間の薪の予算から、1ヶ月分の薪の金額を出し、余らせたら薪を買い戻した。

どうしたら余らせられるか考えなさい。

ススを取れば薪が少なくて済む。

 

飯炊きは毎日掃除するようになった。

 

 

 

農村開墾

年老いて一人前の仕事ができない男がいた。

切り株をひたすら取っていった。

自ら選んだ仕事に甘んじて、他人が休んでいる間も働いた。

皆んなから根っこ掘りの男と呼ばれた。

尊徳氏はその姿を見逃さない。

褒賞の支払いの際、一番多くの褒美を受け取ったのは、その根っこ掘りの男だった。

 

 

 

 


小さな事をコツコツ積み重ね

 


数百もの村の再建を成した。

しかし、全ての村が始めから受け入れてくれたわけでは無かった。

尊徳氏が説得するも、追い出された時もあった。それでも諦めず、説得し続けた。

時には断食までしてその村に雨が降るように祈った。

人々はその誠実さに心打たれ、少しずつ変わっていった。

 


藩主はその功績に褒美を出すが、尊徳氏はそれを受け取らなかった。

 


尊徳氏は

どのようにしたらその村の為になるのか?

そこで暮らす人々の為になるのか?

ひたすら考え、誠実に一つ一つを積み重ねて行った。

 

 

 

小さい事を怠る者には、大を為すことは出来ない。

1万石は1つぶの米から為す。

1つぶの米はクワを耕すことから。

 


どれ一つ怠っても米は育たない。

 

 

 

人はとかく結果を求める。

しかし、当たり前の事を当たり前に一つ一つ積み重ねていけば、自然に実る。基本に忠実に歩む事が大切。

 

 

 

 


どんなに貧しくても、学ぶ事が出来る

どんなに貧しくても、貢献する事が出来る

 

 

 

誠実さの種を撒けば、

必ず希望の実りをもたらします。

 

 

 

多くの村を救ったのは、尊徳氏の誠実な姿が人々の心に実りを為したから

 

 

 

未来に向けて、

今、何を播くのか?

 

 

 

という考え方を学ばせて頂きました。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊

 

なせば成る

「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」

 

 

 

 

 

 

どんなに困難な事であっても、強い信念を持ってすれば、必ず成就する。

結果が出ないのは、先に諦めてしまっているからである。

 

 

 

 

 

 

困難が大きければ大きい程、大きく成長できる。

 

 

 

 

 

 

苦しみは、不幸では無く、輝く未来への始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改革で大切なのは

制度や対策…

 


それ以上に

『愛情を注ぎ続けることが

一番大切』

 

 

 

 


9代目米沢藩主 上杉鷹山

17歳で藩主になり、領民の為の大改革を行った方です。

 


10歳の時に遠縁の上杉家に養子縁組 婿入りの話が上がりました。

 


若くして上杉家の借金20万両

(現在の100億円にあたる)を知った時はどの様な気持ちだったんだろう。

と胸が痛くなります。

 

 

 

 


18歳の時、誓いの言葉を春日神社、白子神社の神様に奉納しています。

内容は

『民の父母の心構えを第一とすること』

『学問・武術を怠らないこと』

『質素・倹約を忘れぬこと』

……

それらを怠ったとき、神罰を受けても構わない。

 

 

 

 


傾いた米沢藩を救うため、

まず「大検約令」発し、役人の贅沢や無駄を正すことから、改革への第一歩を踏み出します。

 

 

 

 


家臣からは名門米沢藩の面子を潰す気かと猛反発を受けました。

 

 

 

 


しかし、鷹山公の決心は揺るがなかった。

 


自分の身の周りから倹約を始ます。

 


江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らしました。

 

 

 

 

 

 

米沢藩の領地では、

痩せ衰えた田畑、疲れ果てた農民

 


年貢を納められず、重税を払えないと水攻めなど苦しい罰。

 

 

 

藩を逃げ出す者。

 

 

 

食べる物も無く子供も育てられない為、間引きする者(生まれた子をすぐ殺してしまうこと)

 

 

 

どれだけ苦しい状況だったかは想像を絶します。

 

 

 

鷹山氏は藩の実状を知れば知るほど絶望感を抱きます。

 


そんな中でも諦めず、考えに考え抜き、行動を起こします。

 

 

 

 


『農業改革案』荒地の開拓をする。

 

 

 

 


家臣達は

「誰がやるんですか?

そんな人手はありません。」

と猛反発した。

 

 

 

 

 

 

 


鷹山公は

 


『武士がいる。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


武士に農業を進め、みずからクワを持った。

 

 

 

藩主の揺るぎない姿に心動かされ少しずつ賛同する者たちが現れます。

 

 

 

最も身分の低い下級武士達でした。

藩の給料だけではもともと生活できなかった。

 

 

 

 


その後も改革を進めます。

 


土地にあった作物を栽培、染め物や織物など産業の改革も行います。

 


士農工商という階級制度を根底から変えていった。

 

 

 

 

 

 

名君上杉鷹山公の名が高まるにつれ、家臣の批判は身を潜めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天明3年の飢饉では、全国で推定約2万人の餓死者がでるなか、米沢藩では一人も餓死者が無かった。

 


鷹山公は参勤交代の為、江戸に行かなくてはならなかった。

しかし、今米沢を離れてはこの飢饉を乗り越えられない。

鷹山公は家督を治広に譲り、35歳の若さで引退を決意します。

 


藩主でなければ江戸に行かなくては済む。

 


米沢に残り、城に蓄えてある米を民に配り、家臣と平民に同じお粥を配る。

 

 

 

 

 

 

 


目に見えるものだけでは本当の改革は出来ない。

 

 

 

 


領民の父母となる

『揺るぎない決意』

『深い愛情』

『誠実さ』

 


この思いがあって初めて

人の心が動かされ改革が出来る。

 

 

 

鷹山公の生き方から

 

 

 

『人々に希望の光を

照らすこと』

 

 

 

の大切さを学ばせて頂きました。

 

 

 

 


「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊

積羽沈舟(せきうちんしゅう)

積羽沈舟は「小さな努力でも、コツコツと積み重ねていけば大きな力になって目標を成し遂げられるさま」

 

 

 

ありがとうの数だけ

信頼が増える。

 


信頼の数だけ期待が増える。

 


だから任される人になる。

 

 

 

 


任されたことをこなすのは

初めは困難だけど、

一生懸命やるから

更に大きく成長できる。

 

 

 

 

 

 

『だから人生に輝きを増す。』

 

 

 

 

 

 

私の人生の先輩でスーさんという方がいます。

 


凄く忙しい方ですが、誰か困っている人がいると仕事を止めて、いつも親身になって一緒に考えてくれます。

 


お客様でも、同僚、部下でも誰にでも悩んでいる人がいたら見過ごせません。

 


頼まれたらほぼ不可能な仕事の依頼でも、『畏まりました』と答えてからどうやってそれを成すかをひたすら考え、納期には必ず間に合わせます。

 


仕事の面だけでなく、プライベートでも一生懸命考えてくれます。

 


わからないことがあれば、その分野の知り合いに聞いたり、とにかく相手の方の悩みを一生懸命考えてくれます。

 


時間も労力も使って一生懸命相手の事を考えます。

 


そんなスーさんの周りにはいつもありがとうで溢れています。

 


ある時そんなスーさんの姿に目を向けた方々がいました。

他社からヘッドハンティングの話しが来たそうです。それも同時に2社も…

 


1社は大手で部長待遇

 


もう1社は今の会社とあまり変わらない待遇

 


スーさんが選んだ答えは、後者の会社でした。なぜ部長待遇の会社を断ったのか聞いた所、後者の会社の方が困っていたからということでした。

 


スーさんは新しい会社でも一生懸命仕事をし、周りの方の為に尽くしていきました。

 


いつも周りには笑顔が溢れています。

 


その会社に入って2〜3年後、新規事業を立ち上げるから社長をやって欲しいと頼まれました。

 


社長になっても、変わらず『相手の為に…』を続けています。

 


数名からスタートした事業は毎年倍の人数になり、発展しています。

 


『ありがとう』の先に

輝く人生がある。

 


そんな未来をスーさんから教えて頂きました。

 


最後まで読んで頂きありがとうございました😊

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)

日々の行動、言動の一つ一つが修行であり、その全てが自己を鍛える道場

 

 

 

『こうあるべき…』

 


そんな価値観が

 


自分も他人も不幸にする。

 

 

 

頑固な人だなぁ〜 …。

いつも周りの目を気にしてばかり…。

………。 ………。 ………。って

 


自分の価値観を、他人押し付けてしまう。

イライラして相手にそのオーラをぶつけて…

 


結局は上手くいかない人間関係が出来上がる。

 

 

 

いっそ、自分目線を捨ててしまったらどうだろう?

 


他人の悪い所も含めて、その人の個性。

 


頑固な人だなぁ〜 

 →何て意志の強い人だ!!!

 


いつも周りの目を気にしてばかり

 →視野が広く全体を見れている人だ!!!

 


その人の良さって実は悪い所の裏側にあったりしますよね^_^

 


見方を変えれば人は凄い可能性を秘めた人ばかり!!

 


ここがダメという価値観を捨てて

仲間の可能性を信じ、良い所も悪い所も全てを受け入れていく!!

 


相手をどうしても受け入れられない時は、

落ち込まないで、

 


この人のおかげで私の成長の伸びしろを見つけられたなぁって考えてみたり^_^

 


毎日毎日そんな意識で過ごしてみたら、職場が楽しい雰囲気になったり、お互いに信頼し、助け合えるようになる。

 


日々が自分自身を育てる道場。

 


『歩歩是道場』

全てが修行、自分を育てる道場

※歩歩とは、今ここのこと。

 


最後まで読んで頂きありがとうございます😊

一意専心

 

他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中すること。

 

 

 

 


パイロットコーポレーション

『消せるボールペン』

の誕生秘話を特集している番組(NHK逆転人生)を見て感動しました!!

 

 

 

今では当たり前となった商品ですが、完成までには30年以上の歳月がかかった事を知り引き込まれてしまいました(^^)

 


主人公となるのは中筋憲一氏

 


花形の第一開発部 

お荷物の第二開発部

 


中筋氏はそのお荷物の第二開発部に所属。

 


1975年、温度変化によって色が変わるという凄い技術を開発しますが、世の中の必要とする商品にはなかなかたどり着くことが出来ず…

 


努力しても報われず、成功を収めても第一開発部の更なる大きな成功の影で話題にもならず、何度も会社を辞めようと思う日々。

 


それでも中筋氏は

 


技術を止めるな!

絶対これで完成ではないのだ!

 


と毎日毎日努力し続けます。

諦めず毎日小さな一歩を踏み出す。

 


途中、第二開発部のエースを第一開発部に引き抜かれ、大きな絶望感の中、それでも前に進み続ける。

 


『無駄な努力は無い』

 


消せるという技術は出来ても、寒さによってまた文字が浮き出てしまう。

 

 

 

失敗の連続の中でも挑み続ける姿に、意外な協力者が現れます。

 


それは、敵対していた第一開発部のメンバー達。

 


一緒懸命だからこそ、部の垣根を越えて協力したくなる。

 


2005年ついに温度変化の幅を-20°C〜60°Cまで拡大する事に成功します。

 


『諦めず仲間を信じて進む未来に感動がある。』

 


2006年にフランスで発売以来、世界100カ国以上で販売され 、2017年累計20億本を突破!!

 


批判されながら、バカにされながらもひたむきに進み続ける先に感動がある。

 


今目の前の一瞬が

未来につながる。

 

 

 

そんな生き方を中筋氏から学ばせて頂きました。

 


最後まで読んで頂きありがとうございます😊